(03/23)
3月23日 火曜日
午前中はAL-AMALろう学校へ。前回支援時にAL-AMALの子どもたちにイラクのことを日本の子どもたちに紹介してくださいと言って絵を描いてもらっていた。今回はそのお返し企画として、日本のろう学校、龍の子学園の子どもたちが描いてくれた絵とビデオメッセージを届けに行ったわけである。ビデオには絵を描く様子や授業風景などが収められていて、皆ひしめき合いながら食い入るようにテレビの画面を見つめていた。イラクの基礎情報を教えているシーンで、イラクの国旗が出てくると一斉に拍手が沸き起こり、画面の中に自分が描いた絵を見つけた少年は「僕の絵だ!僕の絵だ!」と大はしゃぎ。テレビ画面なので遠くの子どもたちは見るのが大変そうで申し訳なかったが、とても楽しんでくれたようだ。日本への関心も増したようで、ぜひ日本に行って直接交流したいとも。また、日本手話とアラビア手話は違うので、先生方は日本手話の辞書を読んでみたいと言っていた。
龍の子学園では手話教育を実践しているが、一般的に日本のろう教育では、ろう児が聞こえる人と同じように聞いたり話したり出来るようになるのを目指してきたそうで、70年もの間公的に手話が使われていなかったらしい。しかしどうがんばっても聞こえる人と同じレベルで話せるようになるわけがないので、ストレスもたまり、その結果ろう者の読み書きや意思伝達の力が不十分であるという現実がある。イラクでは子どもたちによってケースバイケースで対応していて、決して無理に聞こえる人と同じように話せるような教育はしていないという。こうした問題点も、この交流がきっかけで知ることが出来たわけであるが、今後もこうした交流を通じて様々な立場の人々が抱える問題を共有し、お互いに問題解決へと向けた知恵を出しあっていけるような関係を築きあげていきたい。
また、AL-AMALろう学校には不足していたチョークも届けた。
午後はジャーナリストの安田君と大島さんとドーラ浄水場へ。戦争中は市民のライフラインの被害を最小限に抑えようとHUMAN SHIELDSとして滞在していたサイトである。遅くなりマネージャーのSさんは留守だったため、本来であれば彼の許可なしでは入れないところであったが、さすがに戦争中も滞在していたよしみで常駐の警察官が施設内に入れてくれることになった。
正門前で話していると戦時中仲良くしていた近所のちびっ子たちがやってきた。前回10月に訪れたときには会うことが出来なかったのだが、今回はみんなそろっている。「YATCH、YATCH」と名前を覚えていてくれていて嬉しかったが、なんと皆流暢な英語で話しかけてくるのには驚いた。一年前はほとんど話せなかったはずなのに、一体どこで習ったんだろうと聞いてみると、陥落後に浄水場にやってきた米兵に3ヶ月ほど教えてもらったという。なるほど発音はアメリカ英語だし中指を立ててF××Kなどお上品な言葉を連発している。しかしこの短期間でここまで上達するとは。さすが子どもは飲み込みが早いと感心した。
時計、メダル、ドッグタグなど米兵にもらったものを自慢げに掲げて、「アメリカ大好き」ということである。刺青まで入れて、発音から立ち居振る舞いからもうすっかりアメリカンキッズ。見事なまでのアメリカナイゼーションの成功例をまざまざと見せ付けられてしまった。そんな彼らも、我々が撮ったビデオを非常に気にしていて、日本でならかまわないがお願いだからイラクのTVでは流さないでくれという。サダム派の誰かに殺されてしまうと言って心配していた。
浄水場内で、戦争中は共にシェルター(と言っても単に貯水槽下部の窪みであるが)に隠れたこともある職員と再会。アメリカナイズドされた子どもたちもそうだが、戦時下を共に過ごした人々は、我々がHUMAN
SHIELDSとしてここに滞在していた理由を理解し、その効果よりも共に時を過ごしてくれたことに今でもありがたいと言ってくれる。その後浄水場内の庭で夕食をご馳走になり、満天の星の下警察官たちと子どもたちとテーブルを囲んだ