(02/25)
2月25日、JVCの原さんとバグダッド中央教育子ども病院に抗がん剤ピュリネソール-Purinetholを届けに行く。小児科医のDr.Jは病院の現状をつぶさに説明してくれた。経済制裁が解除されてから全体としては薬の供給状況は改善されてきているが、相変わらず抗がん剤は不足していて日本のNGOの支援でやっと繋いでいるということである。生存率も15%〜20%で経済制裁時とまるで変わっていない。医療技術も1970年代のままであり、何よりも患者を取り巻く設備環境はむしろ悪化しているところもあるという。確かに白血病といえば無菌室での治療が常識だが、イラクでは数少ないがん病棟があるこの病院ですら相部屋で治療を受けているというのが現状である。湾岸戦争以降バスラに限らずここバグダッドでも確かにがん患者の数は増え続けているというが、アメリカ軍が使用したウラン兵器との因果関係については、まだ科学的データによる立証が必要だと明言を避けていた。これまでのデータだけでもウラン兵器の放射能被爆による影響は明らかだとは思うのだが、たとえその因果関係が立証されていなくても、白血病をはじめとするがんに罹る子どもたちが異常に増え続けている現状は間違いないのだから、なんとかしなければならないことには変わりがない。このような抗がん剤の支援はもちろん役立ってはいるのだが、小さなNGOの支援だけではどうしても限界があり根本的な解決には程遠い。日本が国としてイラク支援に取り組むのならば、377億円もの大金を自衛隊の派遣につぎ込むより、同じ被爆国としてこうしたがん治療に関するインフラ整備に税金を使うべきではないだろうか。
Dr. Jから説明を受けた後、がん病棟の子どもたちを見舞う。同行していた麗奈さんは早速子どもたちといっしょに絵を描き始めた。やはり回復に向かっている子どもたちからは笑顔もこぼれる。それにしても改築中とはいえ院内全体にわたりゴミなどが散乱しており、とても清潔とは言えない環境である。まずはこうした問題から改善すべきではないかとも思う。これはゴミ処理がまるで追いついていないバグダッドの街全体を見ても思うことではあるが。
午後は志葉君の取材に付き合いサイディア地区のアルワリードセンター-Al Walid Centre-に行く。機械工などを育てる学校だが、アリババ(盗賊)の被害で工場内はすっからかんの廃墟と化していて、天井が丸焦げになっている棟もあった。ガードマンの説明によると、バグダッド陥落後しばらく先生や職員たちが施設を守っていたのだが、米軍がやってきて彼らを追い出してしまい、それからアリババにやられてしまったという。自らの将来を破壊するイラク人のアリババには困ったものだが、やはり米軍のやり方がこうした混乱状況を生み出しているとしか思えない。1000人ほどいた生徒たちが今では350人ほどに減ったとはいえ、毎日授業は続いている。ガランとした教室をいくつか訪れたが、机の上の落書きが面白くてついつい見入ってしまう。イラクの石油を吸い取る米軍ヘリなんかも描かれていた。矢が突き刺さったハートマークに破れたハート。とても懐かしい気持ちになって、机上の展覧会を楽しんだ。
ホテルに戻るとサマワでの取材を終えてバグダッドに戻ってきたフリージャーナリストの常岡浩介さんが待っていた。イラク戦争中現地でお世話になった彼も同窓会に加わり、12時頃まで情報交換等話に花が咲いた