(02/23)
2月23日、JVC原さんからバグダッドの病院からの薬のリクエストをメールで受け取り、薬剤師のHさんに最終的な薬の注文を出す。中央教育子ども病院からのリクエストを中心に、抗がん剤ピュリネソール、抗生物質、吐き気止めの薬合計約3,500ドル購入した。悩んだ末予算枠を増やしたが、これだけ買っても半月分ももたない。いかに抗がん剤が不足していることか。
薬剤師Hさんは来年にもカナダに移住するという。中東の不安定化による治安の悪化や社会保障面が大きな理由だが、彼がいなくなったあと誰から薬を買えばいいのだろう。イラクに医薬品の支援を続けるNGOにとって、イラクのドクターからの信頼があり、いつも親切に対応してくれる彼の存在は大きい。
ディスカウントショップで子どもたちの絵の交流に使う12色のクレパスと紙を購入。また、Hさんの紹介でタクシー乗り場に行き、イラク行きのタクシーを60ヨルダンディナール(約85ドル)で契約。ドライバーの名前はこれまたHさん。英語はほとんど話せないが、気さくでやさしい28歳の若きイラク人。あれこれ荷物を積み込んで、夜11時過ぎにイラクに向けアンマンを出発。身を切るような寒さ。ふと夜空を見上げると、零れ落ちてきそうな満天の星が輝いていた。
24日朝4時過ぎにはアンマン側国境に到着。出国手続きを済ませ、いよいよイラク側国境税関へ。シカゴから来たという若く気さくな米兵に話しかけられる。バグダッドに行くというと「気をつけて」と一言。入国スタンプは、昨年10月入国の際に押してもらったいかにも間に合わせで作ったものとは違い、イラクの国の形の上にナツメヤシの木が二本並んでいる新しいものに変わっていた。
安全面を考慮して、夜間のイラク入りは避けて国境で日の出を待つ。最も冷え込む時間帯、ドライバーのHから差し出されたチャイがありがたかった。地平線の彼方がほのかに白く滲み始めた頃、いざバグダッドへ向けて出発。思えばイラクに行くのももう4度目になるが、何度目でもこの瞬間は身が引き締まる。
赤茶けた砂漠の上に太陽が昇り、徐々に気温が上がっていく。地平線の彼方でゆらめく蜃気楼を横目に、何度も襲いかかる睡魔と時には闘い、時には身を任せ、バグダッドへ向けた幹線道路をひた走る。途中立ち寄ったドライブインの駐車場で、アリババ(盗賊)の車を取り囲むイラクポリスと野次馬の騒ぎを除けば特に何事もなく、ラマディ、ファルージャ間も無事通過。お昼前にはバグダッド市内へ。
市内道路は相変わらずの渋滞。路肩の闇市場でガソリンを給油し、裏道を抜けながら市の中心部を目指す。途中何度かエンストを起こして停車するが、通りすがりの人たちが次々と手伝ってくれ、子どもたちは相変わらず「ヤバニー、ヤバニー(日本人)」と写真をせがむ。商店街は活気にあふれ、人間の生きるエネルギーに満ち満ちていた。同行していた麗奈さんはイメージとのギャップに戸惑いを隠せない様子だった。
午後一時頃、JVC原さん、フリージャーナリストの志葉くんが泊まるアルサフィールホテル(AL-SAFEER HOTEL)に到着。予算的にきついのでやがてホテルを替えなければならないが、とりあえずチェックインを済ませて原さんと抗がん剤支援について打ち合わせ。すぐ後志葉君が取材を終えホテルに帰ってきた。今回彼のガイドもしているPEACE
ONバグダッド支部長のサラマッドも一緒である。再会を喜び合い、お互いの活動を称え、今後の活動方針や今回の支援、交流活動計画の簡単な打ち合わせをする。また、この一週間は志葉君も巻き込んで新チームを結成し、イラク・アート・プロジェクトに協力することにもなった。
PEACE ON IRAQ PROJECT 2004、ここに始まる。それにしてもほとんどバグダッド同窓会でもある。