Hani Dallah Ali来日個展ツアー報告


Hani Dallah Ali来日個展ツアー2017~ラヒール・ワタン~祖国、我を去りて~はおかげさまで京都、仙台、東京の3週間全日程(5/23~6/11)を盛会で終えました。来てくださったみなさま、作品をご購入してくださったみなさま、各ギャラリーのみなさま、準備含め各イベントでご協力くださったみなさま、この度はお世話になりまして、本当にどうもありがとうございました。

ハーニーと同行の息子のフセインも無事ヨルダン・アンマンの自宅に戻りました。少し遅れてしまいましたが、ハーニーからのお礼のメッセージをご紹介します。

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日本の友人のみなさん、ありがとうございました。
私の個展へのご来場、そしてご意見感謝しております。
私にはあなた方のような素晴らしい友人がたくさんいて、
そんなみなさんにお会いできて大変幸せです。
この度はこれまでみなさんと過ごせた中で最高の体験のひとつになりました。
そして、画廊オーナーのみなさんに感謝申し上げます。

堺町画廊-京都
ギャラリーターンアラウンド-仙台
ギャラリー古藤-東京

訪れた先でみなさんと出会ったこの素敵なご縁を大変感謝しております。
Mr.Yatch(相沢恭行)、私のためにそして私たちのプロジェクトのために尽力してくれて本当にありがとう。
またお会いできますように。みなさんに平和を。
アンマンから

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3週間で3都市での個展という強行スケジュールで、ハーニー本人もこれはもはや個展ではなくお祭りだと評し笑っていましたが、沢山のすばらしい出会いに恵まれたおかげで、連日疲れよりも喜びを多く感じ、僕もハーニーもフセインも最後まで体調を崩すことなく無事に乗り切ることができました。以下、ハーニー祭りの様子をご報告します。(写真はみなさんがフェイスブックなどに掲載してくれたものからも使わせてもらいました)

【Kyoto・堺町画廊】5月23日~28日
ツアーの皮切りは京都、堺町画廊。150年前に建築された京町屋の土壁が、イラクの象徴ナツメヤシの手すき紙の上に描かれた作品と見事に調和していました。イラクと日本、それぞれの原風景が時空を超えて交わりあい、絵の中で目を閉じ佇む農婦の表情は菩薩のようにやさしく、あたたかく、深い光を静かに放っていました。



最初のイベントは日本におけるウード演奏の第一人者、常味裕司さんのウードコンサート。アラブの古層に揺蕩う調べが画廊に満ちて、絵画との共鳴を愉しめました。後半僕はイラク起原説もあるアラブの農民の唄を歌い、ハーニーはバグダードの都市型民謡を歌いました。(似顔絵ライブドローイングも♪)


岡真理さん(京大教授・アラブ文学)の協力で実現した京大での講演、また画廊でのハーニーのトークイベントには僕も強く心を打たれました。個展タイトルでもある「ラヒール・ワタン~祖国、我を去りて」とは、「私がワタン(祖国・ふるさと)を去ったのではなく、ワタンが私から去っていってしまったのだ」という意味です。しかし、ハーニーはそれを嘆いているわけではありません。

「今やあの美しいワタンは心の中にしか存在しないが、それを絵に描いて、心を開いて人々とつながっていけば、この地上のどこにいてもたちまちそこが私のワタンになる。そこには国境もなにもない。ワタンとは人なのだ」

この「ラヒール・ワタン~祖国、我を去りて」というテーマは、ここ日本でも3・11以降明らかになってきましたが、今やイラクに留まらず、世界中で共有している問題です。ハーニーはイラクでの戦争体験、そして長年の避難生活という自身の体験から、絵画表現によって普遍的なメッセージに昇華させました。この壊れゆく世界を生きるわたし達が、共にのり越え生き抜いていくために、必要な答えがここにあると思いました。

ハーニーは言い切りました。

「アートは私にとってこの世界を変えるための武器なのです」

そして続けます。

「アーティストはただ美しいものをつくればいいのではなく、そこに人々の心を動かすメッセージがなければならない。私のメッセージは、サラーム「平和」です。平和でなければ、私たちはこの地上で共に生きていくことはできないからです」

「いま、人を殺してもいいという間違ったメッセージが世界に広がっています。私は、心のワタンに輝く女性たち、七千年ものイラクの歴史の中、命を育み続けてきた農婦たち、この戦争の時代の中で苦しみ、子や夫を亡くした悲しみ深く、平和を求める気持ちがひときわ強い母親たちを描いています。伝えられなかった彼女たちの内面の美しさを表現することで、観る人の心が平和になってくれると信じています。まずは人々の心が平和になること。それが今の世界にはどうしても必要なのです」

そしてハーニーは、これまで絵を描き続けることが出来たのは、共に歩み支えてきてくれた僕をはじめ日本の友人たちのおかげであると話してくれました。

「預言者ムハンマドも言っていたように、この地上には血を分けた親族以外にも兄弟はいるということがわかりました」

僕は彼の隣でトークの進行を務めながら胸が熱くなり、気がつくと涙で景色が揺れました。13年前バグダードの画廊でハーニーの絵「混沌からの光」に恋に落ち、その後彼の作品を追い親交を深めてきました。互いに苦しい時期もありましたが、そこをどうにか乗り越えて、今日まで共に歩んできて本当によかった。彼の友人であること、そして兄弟と呼ばれて、ほんとうに幸せでした。

その後のライブでは、ゲストにスウェーディッシュ・バイオリンの高垣さおりさん、そして津軽三味線の松浪千静さんを迎え、心を込めて歌いハーニーの来日個展を祝いました。いつも僕がお世話になっている素敵なミュージシャンを紹介できて、さらには日本の伝統音楽、私のワタンでもある東北の民謡を聴いてもらえて嬉しかったです。ハーニーも大変喜んでくれました。

京都展は最終日まで連日たくさんのお客さんで賑わい、絵と人の素晴らしい出会いにも多く恵まれました。堺町画廊オーナーの伏原さんには企画準備から記念カタログ作成まで大変お世話になりました。心から感謝申し上げます。



【Sendai・ギャラリーターンアラウンド】5月30日~6月4日

京都展を終えた翌日、朝から新幹線で仙台に移動しました。カフェが併設してあるターンアラウンドのギャラリースペースは白で統一してあり、作品鑑賞に集中できて、壁にはどこでもピンが打てるので思いのままに展示できるとハーニーは疲れもいとわず喜んで展示作業に勤しみます。他、ギャラリースタッフの安部さんによる細かい準備などが行き届いていて、このギャラリーはプロフェッショナルだとえらく気に入ってくれました。

展示途中、「ここには大きい作品が必要だ」ということで、オーナーの関本さんにお願いして60号くらいの大きなキャンバスを用意してもらい、持ち合わせの絵具(アクリル少し&京都で買った水彩)で僕が歌の練習をしている間に一時間ほどで書き上げてしまいました。息子のフセインは、今回の作品の中で一番いいと評価していました。

オープニング、そして3日のトーク&ライブイベントには私の仙台周辺の友人知人たちの他に、DMハガキの絵の写真を見て「これはどうしても観に行かねば」と万障繰り合わせてきてくださった方もいらして、ハーニーも感激していました。DMハガキの作品は初日に売約が付きました。


仙台ではアラビア語を通訳してくださる方が見つからなかったので、トークでは僕が英語から通訳しました。ハーニーは英語は得意ではありませんが、さすがに13年前からずっと彼の話を聞いてきたので、何を伝えようとしているのか大体わかります。ハーニーも時々冗談で、「自分の絵のことは自分よりYatchのほうがよく知っている」と言ってくれるほどです。また、京都でのアラビア語での講演を福田義昭さん(大阪大学、アラブ文学)&岡さんの見事な通訳を通してばっちり詳細を確認していたので、かなり的確に伝えられたのではないかなと思います。

トーク後の僕のギター弾き語りライブでは、東京からウード奏者の荻野仁子さんが応援に駆けつけてくれて、イラクの古典曲と合わせて楽しんでもらうことができました。車で来てくれた仁子さんにはライブ以外でもいろいろと手伝ってくださって、ハーニーもフセインも仁子さんのことを「ウーディ」という愛称で呼びすっかり仲良くなっていました。


展示期間中日の6月1日にはワタニー(私の故郷)気仙沼にも行ってきました。ハーニーを気仙沼に連れて行くのは出会った頃からの夢でした。雨でしたが昼はフェリーで大島観光。3.11以降に大島まで行くのは僕も初めてで、大分変っていましたが、海に縁遠い二人にとっては目にするものすべてが新鮮なようで、僕の原風景である海の町を満喫してくれました。

実家では画家の父、相澤一夫とも打ち解けて、気がつくと互いの似顔絵を描きあっていました。ハーニーは父の作品も大変気に入り、アンマンのギャラリーにも資料をもって相談してくれていて、ぜひヨルダンで個展をやってほしいとまで言ってくれています。

夜はいつもライブや絵画展でお世話になっている駅前のカフェ「Sea Candle Coffee」で後藤オーナーがささやかなパーティーを開いてくれて、気仙沼の画家、ミュージシャンらと交流できました。

この度のツアーは僕のこれまでの拠点を訪ねる旅でもあったわけですが、気仙沼から意外と遠い仙台には住んだことはなく、ハーニーの個展も初めてだったので、京都、東京と比べると来場者は少なかったのですが、ふるさとに連れていくこともできたし、3週間のハードスケジュールの中ちょうどいい休息にもなりました。

そしていい出会いもありました。仙台展最終日にはなんと東京から文化人類学者で環境運動家でもある辻信一さんがご親族の方々を連れてきてくださいました。辻さんには2008年にカーシム・サブティー(戦争で破壊された図書館から救い出した古書によるコラージュ作品で知られるイラク人芸術家)を招へいした際にも雑誌などでご紹介いただきました。この度の作品も、そしてハーニーの人柄も大変気に入られて、ぜひ今後のイベント企画でハーニーのことも取り上げたいと言ってくださいました。



最終日終了後はウーディ仁子さんの車に作品を詰め込み夜のうちに仙台を後にして東京に向かいました。常磐道通行中、福島第一原子力発電所に近づくと、高い放射線量を表す電光掲示板の冷たい光と、夜の闇に沈む明りのない家並みのコントラストがただならぬ不気味さと共に迫ってきて、胸がつぶされるような重さを感じてしまいました。

ハーニーはイラクでの死と隣り合わせだった経験を語り始めました。冗談を交えて笑いながら楽しそうに話すので、夢かうつつかよくわからなくなってしまうのですが、こうして笑えない現実の体験をジョークにして笑い飛ばすイラク人は決して少なくありません。イラクの人々が戦争の時代を生き抜くために身につけた処世術なのかもしれません。

そして、この福島の道を通ってみて、ラヒール・ワタン~祖国、我を去りて~というのはまさに私たちの問題でもあるということが理屈抜きに納得できました。

【Tokyo・ギャラリー古藤】6月6日~11日

最後の個展はいよいよ東京です。江古田にあるギャラリー古藤は、緑眩しい並木道に面していて、仙台の通りを思い出します。ギャラリーのオフィスで骨董品店も営まれているオーナー田島さん、くみこさんから心からのあたたかいもてなしを受けハーニーも僕も気持ちよく準備できました。


オープニングパーティーではアラブ料理軽食をつまみながら歓談。ゲストに画家で映画監督の増山れなさん、そして彼女の恩師でもある芸術家の坂口寛敏さんも来てくださって、ハーニーの新作について語り、個展開催を祝ってくれました。

れなさんから、「イラクにも素敵なアートがきっとあるはず。相沢さん、私をイラクに連れて行ってください!」とお願いされたのはもう13年前。その一年前の2003年僕はイラク戦争を止めようと「人間の盾」になり、そこで親友となったイラク人青年とNGOをつくり子どもたちの支援&文化交流をはじめましたが、あの時のれなさんの情熱がなければ、ハーニーをはじめイラクのアーティストと出会うことはなかったかもしれません。

当時れなさんとイラクのアートプロジェクト「LAN TO IRAQ」を始めた時のスタッフ芦澤さんは現在JIM-NETの事務局スタッフですが、この度のハーニー東京展のDM&イベントチラシを作ってくれました。こうしてプロジェクトが10年以上続いていて、始めた当初にお世話になった人々が今も変わらずサポートしてくれているというのはなんとありがたいことでしょう。

オープニングに素敵な花束をくださった画家の川口ゆうこさんも、2005年にハーニーを初めて招へいした時からお世話になっている恩人です。東京でのハーニーとの出会いがきっかけで、川口さんはヨルダンで個展を開催する運びとなり、今ではドバイ含めアラブ世界での展覧会などに何度も参加されています。今回はハーニー&フセインの東京観光のアテンドまでしてくださって、二人も大満足でしたし、僕も本当に助かりました。

オープニングパーティーの後は京都に続いて常味裕司さんのウードコンサート。お弟子さんでもある荻野仁子さんも参加し、後半は僕も交じってアラブの唄を歌いました。一曲は恥ずかしながら僕もウード弾き語り披露。常味師匠の懐の深さにただただ感謝の一夜でした。

2005,2006年の来日個展は東京(銀座)で開催しました。PEACE ONは東京で基盤をつくったということもあり、ハーニーのファンは東京に多く、さらに東京新聞でもカラー写真付きで大きく取材記事を掲載してくれたこともあり、期間中たくさんの来場者に恵まれました。

1970年代後半から日本企業の現地法人としてラマーディー・ファッルージャ間の道路建設のお仕事をされていた方が来てくださった時は、ハーニーとイラク話で大いに盛り上がりました。さらには酒井啓子さん(国際政治学者:中東・イラク政治専門)も来てくださいました。酒井さんはハーニーの故郷ヒートに行かれたこともあるそうで、ハーニーとアラビア語での会話を楽しまれていました。

このように、過去イラクで多くの日本人が活躍されてきたおかげで、イラクにおける日本人のイメージは格別にいいものになっています。僕も過去イラク滞在時、ただ「日本人」というだけで何度も厚遇されたものでした。昨今の政治家によるあからさまな米国追従姿勢により特に若者の対日感情が悪化しているのは実に残念であり、「日本人」というだけで攻撃の対象になるなどすでに深刻な影響がありますが、たとえ小さくても僕たちはこうした交流を続けていくことで友好な関係を未来につなげていきたいです。

他にも、仙台展の最終日にいらした辻信一さんが各方面に発信してくださったおかげで、辻さんが校長を務められている「ゆっくり小学校」ようむ員の上野宗則さんをはじめ、今度一緒に面白いことができそうな予感に満ちたワクワクする出会いがたくさんありました。

今回の来日個展では、各会場来場者のみなさんにプロモーション・ビデオを観てもらいました。作ったのは同行の息子フセイン。彼はまだ16歳ですが父親譲りの才能に恵まれ、描いた絵がすでに15枚以上売れているとのことですが、映像編集も立派なものでした。

ビデオはまずイラクの田舎でお母さんが毎朝伝統的な窯でホブズ(円く平べったいパン)を焼いているシーンから、そのホブズの形の木板にハーニーがナツメヤシの手すき紙を貼っていくところなど制作過程を追い、アンマン郊外の女性だけが働く手すき紙工房の様子を紹介しています。さらには今回来日し京都、仙台、東京と続いてきた個展の様子までスマホでちゃちゃちゃと編集し付け足していたのには驚きました。

今回ハーニーが末っ子のフセインを連れてきたのは、3週間も家族と離れるのが寂しいというのと、才能ある息子に若いうちから世界を観て異文化に触れてほしいというのがあったようです。その割には連日スマホに夢中で日本食も苦手でちょっと心配にもなりましたが、京都の寺院、比叡山、そして気仙沼の海は大いに楽しんでくれたようで何よりです。(もちろん秋葉原や東京ディズニーランドも満喫してましたけどね!)

東京展も佳境に入った10日のイベントはハーニーのトーク。通訳はシリア人留学生のバラーさん。日本語が大好きだというバラーさんは立ち居振る舞いが上品で慎ましく、ご出身がダマスカスと聞いてなるほど納得。旧市街に咲いたジャスミンの芳香が漂ってくるようでした。

所々伝わりにくいところは僕が説明を加えつつ、バラーさんがハーニーのアラビア語を懸命に訳される姿を見守りながら、シリアの人々も今まさに「ラヒール・ワタン~祖国、我を去りて~」の時代を生きているんだと、かつて僕も何度も訪れたシリアの思い出と、壊されていく今のシリアが重なり合って、何とも言えない気持ちになってしまいました。また、質疑の時間にハーニーは、ミャンマーで迫害されているイスラームの少数民族ロヒンギャの人々を救うために、日本のみなさんにもっと声を上げてほしいと訴えました。
ラヒール・ワタンを乗り越えて、大地の全てがワタンであるというハーニーのメッセージは、バラーさんにはどのように響いたのでしょうか。終了後彼女はとても勉強になったと言ってくれました。願わくは、ここ日本で生きる僕たちも、イラクとシリアの人々に想いを馳せることを通じて、また世界の至るところで苦しむ人々のこともこの地上で共に生きる同胞として想いを寄せ、一人でも多くの人が平和で生きがいのある毎日を生きられるように、それぞれができることを続けられますように。

トークの後は僕のギター弾き語りライブ。この日は沢山のお客さんで、昔のバンド時代のレコーディングでお世話になったエンジニアさんや、PEACE ONをつくった頃は大学生でよく手伝にきてくれていた青年など、ぜひ今の歌を聴いてほしいと思っていた人も来てくれて嬉しかったです。

ゲストはもはやおなじみになったウーディ荻野仁子さん。彼女のウードソロの時間、途中からパーカッション(フレームドラム)の船原徹矢さんが飛び入りで演奏され、それがまたとても素晴らしかったので、僕の歌「手紙」でも一曲叩いてもらいました。その後は昨年ハーニーの長女の結婚祝いに作ったアラビア語と日本語の混血歌謡「マブルーク(おめでとう)」をハーニー&フセイン来日おめでとうバージョンで歌い、定番のEverybody Sunshineまでお客さんみんなとひとつになり盛り上がって終わりました。

共に歌い音を楽しんだ喜びの余韻に浸りながら、多くのお客さんがハーニーと歓談し、また美しい作品との対話に花を咲かせていました。京都でも、仙台でもよく聞いた感想のひとつは、「とっても平和で穏やかな気持ちになる」というものです。また、「目を閉じた農婦の表情を見つめていると、聖母マリアのようなイコン(聖像)にも、また菩薩や観音様にも見えてくる」という感想も多くいただきました。

それに対してハーニーは答えます。

「ナツメヤシの手すき紙など、素材との対話を重ね深める中で作品が生み出され、自分の心の中に美しく光る故郷の原風景が引き出されていく。描くのをやめたところで私の仕事は一度終わるが、作品は未完成であり、あとはそれを観るあなたの想像力を加えることによりやっと作品が完成する」

「だから私は作品一つひとつにはタイトルを付けない。イメージが固定されて、作品との対話の方向が限定されてしまうからだ。絵はもっと自由に観ていいし、タイトルはあなたが付ければいい。そしてあなたがどのように作品を解釈しても、それはすべて正しい」

「わたしはムスリムだが、全ての宗教の源はひとつであり、日々を平和に生きていくためにあるはず。だからあなたがどのように解釈しようとも、私の絵を観てそのような平和な気持ちになったとしたら、私が作品に込めたメッセージを受け取ってくれたことになるので、とても嬉しい。そしてそれは私が心を開いて絵を描いたからであり、あなたも心を開いて絵を観てくれたということ」

「ワタン(故郷)が私から去っていったとしても、あなたとそのような関係が築けるのならば、あなたは私の兄弟であり、いまここがたちまちに私たちのワタンになるのです」

おかげさまでこの度の来日個展ツアーでは合計で原画18枚、版画15枚が売れました。観に来ただけのつもりが、絵にすっかり魅了され購入を決められた方も多くいらっしゃいました。僕も13年前にバグダードのヘワール(対話)ギャラリーでハーニーの絵に一目惚れして衝動買いをしたものの一人ですが、あれから彼の絵を紹介し続けてきて、今回のこの「ラヒール・ワタン」シリーズは最高傑作だと確信しています。




どの作品にも、ハーニーの原風景から彼の絵画のテーマの歴史、そして祈りが込められています。

避難生活が続きワタンを外から見つめなおす中でとらえたテーマであるイラクの象徴ナツメヤシ。大地と人をつなぎとめてくれていたこの生命の樹から作った手すき紙の上に、かつてのテーマである古代イラクの壁、文様を散りばめ、歴史を陰で支えてくれた農婦たちの夢見る表情が描かれています。果樹園での収穫時に頭に載せた籠は王冠のように輝き、働く女性たちの内面の美しさは深い光となって全ての命を育む母なるものへと昇華していきました。

やがてハーニーは幼き日々に母親が毎朝窯で円いホブズを焼いてくれた記憶に立ち返り、母の胎内から宇宙へとつながる大いなる円環に響きわたる息づかいを感じながら、いまこの地上で苦しんでいるすべての命の平和を祈ります。そしていま、国境をはじめ争いの源である人々が拵えた全ての境界線を超えて、僕たちはみな、すでにひとつのワタンで生きている同胞なんだと気づいたのです。


ラヒール・ワタン~祖国、我を去りて~。ハーニーが祖国イラクで戦争を体験し、やがて避難を強いられながらも絵画による表現活動を続ける中で結実したこの平和のメッセージは、イラクと日本に留まらず、この壊れゆく世界の中で、多くの人々に届ける価値がきっとあるはず。ラヒール・ハーニー~ハーニーは日本から去りましたが、これからこのメッセージを世界に向けて発信していこうと約束して別れました。

ハーニーは現在ヨルダンで高い評価を得ていますが、近い将来、世界的なアーティストになることを確信しております。

PEACE ON、僕たちのプロジェクトは13年前のバグダードから始まり、まだまだ途上ですが、これからも続いていきます。

最後に、この度のハーニー祭り、来日個展ツアーでお世話になったすべての皆様に、改めて心からの感謝の気持ちを伝えたいです。

ほんとうに、ありがとうございました!

*この度の来日個展ツアーでは、「真如苑」様https://www.shinnyo-en.or.jp/の社会貢献活動(文化芸術の伝承)の助成プログラムに採択され諸経費の一部(ハーニーの国内旅費交通費)を支援していただきました。この場を借りて深くお礼申し上げます。ありがとうございました。


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