「第1回 ピースオン京都サポーターズの集い」レポート
先日おしらせしたとおり、6月8日に「第1回ピースオン京都サポーターズの集い」の時がもたれ、その報告が届きました。
以下、レポートです。
(ウェブサイト掲載用にこちらで改行を入れました。)
第1回 ピースオン京都サポーターズの集い
全部で8名の方が参加されました。
当日は、まず上映会で、”Situation”:
イラクを扱った劇映画としては、はじめてのものです。
全編アラビア語(フスハー)の英語字幕+英語会話だったので、見る方としてはかなり集中しないといけませんでしたが、さすがアメリカの商業映画だけあって、飽きさせない展開でした。
ロケ地はモロッコで、中東を舞台にしたアメリカ映画のロケ地によく利用されているのだそうです。
後半は、フリートークということで、話し合いました。
それぞれが、ピースオンの展覧会で経験した感動を、改めて語ってくださいました。
揚琴、新内三味線、カザフスタン民族楽器・・・といった、一見、イラクと関係ない分野が、イラクの絵を背景にしたときの文化の交り合いの面白さ、絵画、写真、音楽、映画、文学・・・といった芸術の多様性、そして、それぞれが引き寄せる人のつながりと広がり。
そして、こうしたイベントを企画できた背景にあるのは、なんといっても、相澤さん・かおりさんのイラクの友への熱い思い、これをなんとかサポートしたいという、みんなに共通する願いがあってこそだと思うのです。
このイベントは、「イラク支援」という括りに束縛されない、社会運動のダイナミズムをフルに生かしたイベントであり、「もういちど、やりたい!」という気持にさせるものだったように思われてきます。
Hさんからは、自分のスタンスとしては、「イラク支援」というよりも、相澤さん、かおりさんが、いいものを持っていると思うから参加しているのだ、という話をされました。
また、持続可能な活動を運営していく上では、活動をひとつの目的に限定しない多様性というものが大事だという意見は、とても納得させられるものでした。
Oさんは、イラクやパレスチナ「支援」とはいうけれど、当事者にとっては「支援」ではなく、関わり合いの中でこちらも元気をもらっているのだ、と、「支援」という言葉では表現できない活動のありかた、それは、前回の展覧会を作っていく中で、方向性は見いだせているのではないか、という印象を持ちました。
S戸さんからは、文化というものは、もともとは一部の額に汗しない人々のもので、それを庶民が少しでも取り入れられたらいいなあという憧れの対象としてあったもの。
でも、一人一人が、それぞれにできることをして、なにかを作り出すと、それぞれの人のつながりが人を呼んで、全く新たな出会いがそこにできる。そういう風に、参加者が楽しみながら、作り出していくような企画が、続けていく上では大事だと言われました。
Kさんからは、やはり作る方も見る方も楽しんでやれるイベント、お客さんに来てもらうための工夫を取り入れてはなどのアドバイスをいただきました。
初参加のM川さんからは、復興支援を研究しているが、イラクのことは深く知らなかったので、イラクの現代アート、70年代のイラクの姿に直に触れる機会というのは、とても貴重だったといわれ、同様の企画を今後も続けていってほしいとか。
S田さんからは、現代アートに携わる者として、イラク現代アートのレベルの高さ、欧米中心のアートにはない独自性といったものを、日本の美術界にももっと紹介したい、今回の展覧会は、内容はすばらしいものだったが、京都の美術界ではまったく情報が無かったので、非常にもったいないと思う。そういう方面への窓口に自らがなりたいと、すばらしい申し出をいただきました。
事実上のリーダーというか、発起人としてやらせていただいた自分(M野)としては、イベントを盛り上げる上で、もっと宣伝すべきだったとか、こまごまとした反省点が多く、あるいは、こうしたイベントが「イラク支援」につながっているのか?という疑問というか、不安もあったのですが、みなさんの意見を伺っていると、自分の見識の狭さ、浅さ、囚われに、かえって気が付かされ、勇気づけられました。
では、これからなにをやるのか?それについては、その後の飲み会の席で、それこそ意見が百出しました。それの詳細については、次号のレポートで報告します。
とりあえず、今回はここまで。
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