読後にして「共」を想う
本読み覚え書きです。
『社会臨床雑誌』第14巻3号(日本社会臨床学会)を引っ張り出して再読すると、佐々木賢さんの報告「教育私企業化の意味」に思うこと多々あり、ニヤニヤしてしまった。学習会の喋りを文字におこしたものなので、内容がぽんぽん飛んでいて、それが逆に面白い。
生でお話を聞いてみたいと思わせる軽快さ。まずはほかのご本も読んでみたい(図書館に予約するリストに入っているもの、『教育と格差社会』と『現代思想』2007年4月号)。
ちょうど読書中だった『地域の力-食・農・まちづくり』(大江正章)に通ずる部分もあり、それはわたしのピースオンへの思いにも重なる。
ちなみに『地域の力』には、体験農園で農を教えていただいている加藤義松さんも紹介されている。
うなずいていたのは、「共」についてだ。共は「コモンズ」ともいわれ、前からよくある考え方だが、こんなに「うんうん」うなずくのは初めて。
月並みな表現だが、『地域の力』には希望があった。知恵と工夫がこらされ、ひとがつながった結果、いきいきとした生がよみがえった例が幾つも載っている。
なにか(たとえば行政など)を敵視するのではなく、時にお互いが協力したり後押ししたりして、みんなで造る。それは、「私」でも「公」でもない、「共」の空間と関係といえる。
もちろん課題も山積しているし、万事快調な訳もない。それでも、どこか楽観できるのがいい。
佐々木賢さんのほうは、「ギャッツ」(公共投資に関する一般的合意)を軸に、世間の諸々の事象をつなげて考える試み。
「みんなのもの」が私物化され、巨大な力とかお金なんかで世界中の庶民が食われつつある。なのに人びとは個包装されたようにバラバラにされ、つながりが分からなくなる。だから日本では怒る民衆が少ない。
・・・とても一言でまとまられないけど、その後の討論部も含めて興味深い。
特に、なにもかも「個」に封じ込められるという捉えかたは、かつて「うつ病」と診断されていたわたし自身の実体験からかんがみても、見過ごせない点と思う。
そんな「共」を辿るうちに、ピースオンも「共」を取り戻したいんだなあという再認識がわいてきた。
たとえば、「寺子屋」プロジェクト。
シリアでの活動許可の面でなかなか進まないこともあり、計画の見直しは必要でしょう。でも、イラク人が求める限り、これはやりたいとわたしは思う。なぜか。
それは、「寺子屋」を「共」と考えるから。
人間関係の濃いはずのイラク人が、祖国を追われた避難先で孤独に陥っているという。学校へ行けない、行ってもなじめない。親も、子も。
それならば、なんだかんだと集える「場」を提供したい。勉強不足を埋める補習もついでにやればいい。
お金が乏しいのも大変だけど、関係が貧弱になることは、もう本当に大変だ。
「寺子屋」をなにかのきっかけにしてもらえれば嬉しい。
それはイラク国内でも同じこと。日本国内でも。
そして、「イラクと日本はつながっているよ」という思いを、お互いに共有できればと思う。
これが、2冊を読んで、つらつらと思い巡らせたことでした。
*写真は、1年前。シリアのカーシム食堂にて従業員らと。なんとイラクからお店ごと移ってきたらしく、みんなご主人を慕っていたのが印象的。苦しい難民生活だが、笑顔のたえない空間が気に入り、その後もシリア滞在のたびに訪れている。
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