2010/2/1 月曜日

豊かな過去をたたえる国イラク

Filed under: diary — Kaori @ 22:45:37

本ウェブサイトでも告知していた井上秀俊さんのお話の会「イラクの記憶」(イマジンイラク写真展の関連イベント)に行って来ました。

お話の内容や会のもようは、イマジンイラクに詳しい報告が書かれていますので、そちらでお読みいただくとして。

なんといっても、井上さんのお仕事が本当に素晴らしい!
それは、イラクのテレビと電話と通信網を作ること。
ぜひともイラクの友に話して聞かせます。イラクの人々はわりあい、ふだんから技術者に尊敬の情を深く示します。しかし、それも、全国のテレビと電話の基礎(一部は国際回線も)を築いた人だなんて。

技術者ならではのイラクとの向き合いようが、大変に興味深かったです。

曰く、この事業にとってイラクは世界最悪の気象状況だそうです。
イラクは北部の山々をのぞいて、ほとんど平べったい土地です。
ほんなら電波も楽に飛ばせるのではという素人考えとは逆に、平たいからこそ難しいようです。煙突の煙がすーっと水平にたなびくような無風地帯では空気の層ができてしまい、日本のような各地の山でリレーできるほうが楽だとか。なるほど。

地球は丸いんだーと納得できたともおっしゃっていて。要するにフラットといっても丸みを帯びた大地では一定間隔ごとに中継の塔を建てないと届かなくて、それで地球の丸さを実感できると。
日頃そういったことに疎いわたしは、ただただ感動です。

そして、雷。
「国勢調査です! 国民は家に、外国人は宿にいないと罰しますよ」というお達しのために、バスラからバグダードまで雷雨の500キロメートルを疾走して戻られたとか。
遮るもののない平べったい大地で、視界の限り自由自在に雷が落ちまくり、文字通り落雷に囲まれるという凄まじい現象。
どこまでも、イラクのフラットさに悩まされた井上さんでした。

印象的だったのは、イラクは「星降る国」と表現なさっていたこと。
首都で、いなかで、目にされた満天の星空は忘れることができないのだそうです。
土地柄、イエス・キリスト誕生時の星の物語をうっとりと想起させます。

もう一つはやはり、子どもらの笑顔。
子どもを写したたくさんの写真を示しながら、「今、大人になったこの子達が健在でいてくれるか」と祈るように言葉をつむいでらしたお姿に、聴衆の一人としてわたしもそっと願いました。

昔のイラクをその足で歩かれた井上さんが「現在のイラクの惨状を実感できない」と云われる重みに、わたしもイラクの友達の顔を思い浮かべつつ、イラクの今後を思案する時間となりました。

それにしても、イラク観光旅行に出かけたい!
「イラクは国じゅうが遺跡の宝庫」と幾度も唱える井上さんも、せつに望んでらっしゃいました。
観光について学ぶサラマッドに気張ってもらわなくては。

井上さんによると、イラクという名は「豊かな過去を持つ国」という意味なんだそうです(諸説あり。今度アラビア語で調べておきます)。
そんな素敵な名の国がその本来の意味によって輝きを放てるように、わたし達は応援し続けていこうと改めて胸に誓うことができました。

井上さんのイラク写真は、ウェブサイトでも見ることができます。
「京都写真館」→ http://www002.upp.so-net.ne.jp/e-gallery/
トップページから右下の「世界の国々の写真集」へと進み、イラクへお入りください。
さらなる更新を期待!

そしてそして、イラクと日本の絆の昔語りを追い求めるイマジンイラクのご活動に、イラクにかかわる一人として希望をもらいます。どうもありがとう。

シンポジウム「アートの力を信じる」に出かけて

Filed under: diary — Kaori @ 18:52:37

1月23日、シンポジウム「アートの力を信じる」に行って来ました。

谷川俊太郎さんが釜ヶ崎を詩作するライヴにも興味を引かれたし、東京から参加する友人に会いたいからという理由も手伝って、お弁当たずさえ朝10時半から夜7時までという長いイベントで一日を過ごしました。

近年、「コミュニティアート」という言葉がちまたに溢れています。
本シンポジウムも、それを実践する「ココルーム」(NPO法人こえとことばとこころの部屋)が企画運営しています。
しかし、何かこの言葉には据わりの悪さというか、素直に受入れられない何かをはらんでいる印象を、正直なところわたしはずっと拭えていません。

ですから、そもそも「アート」とは何か、「コミュニティ」とは何か、というところから考えてみようというココルームの構えに、まずは共感しました。

ココルームは釜ヶ崎を拠点に、アートによる取組みをされています。
誰もが集まれるカフェとともに、「カマン!メディアセンター」も立ち上げられました。
メディアセンターと聞いて連想するような、たとえば多くの情報をデータ化し発信する場ではなく、メディアを人のつながりを生み出す、いわば井戸端コミュニケーションと捉えるところから活動が始まります。

釜ヶ崎という土地は、長きにわたり人間同士の分断がなされた場所です。
(あちこちであらゆる分断は深刻だけど、この町の分断はかなり露骨にされた。)

カマメは一つの試みとして、街頭テレビを置きます。
懐かしい、昭和歌謡や万博の映像(日雇い労働のおっちゃんは万博の建設に多くたずさわった)。
そのテレビの前で商店街のおばちゃんも日雇い労働のおっちゃんも、唄い出したり議論が始まったり、しだいに会話が生まれます。
それで万事快調なわけはないけれど、互いがつながり合う小さな(たぶん大きな)きっかけとなります。

カフェでも、日々問題は起こりま す。
たとえば「うさぎ!」読書会などを開いても、酔ったおっちゃんがヤジをとばさないことはありません。
けれど、そうやって良い時も悪い時も、傷つけられても笑い事があっても一緒に在るという、繰りかえされる日々とか日常とかいったものを大切に考えてられるココルームのお考えは、わたしも賛同するのでし た。

人が工夫して他者とかかわることを-たとえばご近所付合いとして野宿のかたに食べ物を配る夜回りも-アート活動として行う。代表の上田さんが詩人であると聞いて納得しました。

「『アート』という罠:『アート』ではなくて」というお題では、音楽家の小沢健二さんがスカイプで出演され、行政がコミュニティアートの事業を推進するねらいやそれによる芸術界の変化について指摘されました。メモも書き留めないほど集中して聴いた気持ちから、具体的な内容をここに記すことはしません。しかしこのような発言をなさる勇気に敬意を、その上でたくさんの現実を教えてくれた巨大な感謝も捧げたいです。

PEACE ONも事業として「イラクアート」を続けています。
「アート」という言葉を用いることが-単にカタカナだからというだけではなくて-わたし個人の胸の内でずっとひっかかっていました。「アートとは何か」なんて、古今東西で吟味されてきた壮大なテーマだし、もちろん一言で云えるはずはありません。
このシンポジウムも安易な答えは出されなかったし、問い続ける覚悟も感じました。

それらの活動がアートかどうかはおいておいても。暮らしにアートが必要不可欠かそうとはいえないかまだ分からなくても。そして活動が批判されることがあっても。模索と継続。
その模索する行為そのものに活動趣旨をおき、地続きの今を生きること。わたしにはそう思えましたが、その姿勢は全く同感であるし、連帯のような結びつきをひそかにおぼえました。

新世界での晩ごはん、及び釜ヶ崎を案内してくださったremoのかたがた、そしてその場で出会った魅力的な人々にもありがとうをおくりたい夜でした。

2009/4/19 日曜日

まるくまぁるく笑い合う ~桂枝雀没十年の日に~

Filed under: diary — Kaori @ 17:16:27

4月19日、桂枝雀さんがあの世へ旅立たれて今日で十年になりました。

落語について、人生最初の記憶をまさぐりますと。
日曜の夜、父が寝床で、ラジオの演芸番組をつけていました。
その番組は初めに漫才、それから犬猫漫談など色物のような賑やかなもの、最後に落語という構成。
幼いわたしはゆめうつつで、落語のお仕舞いまで聞いていられないことも多く、そのせいか落語はどこか別世界にいざなうからくりのように思えます。

今でも眠れなくなれば、枕元で落語をかけます。幼い記憶をたよりにして。

もう少し大きくなると漫才に夢中になりました。
学生時代などは難波の劇場まで足しげく通ったものです。
テレビで落語をやっていればじーっと見ましたし、落語会へ出かけた友人の話も羨ましく聞きました。
けれど、落語は年をとってからの大人の愉しみにとっておこうと、なぜか考えていました。

その通り、大人になって落語を好むようになりました。しかし、十年ほど遅かったのです。
とうとう、なまで枝雀さんの高座を観ることはかないませんでした。

「爆笑王」枝雀さんは今なお圧倒的な人気。色あせることがありません。

枝雀落語の登場人物たちは、いやらしいひともブサイクなひともやかましいひとも意地悪するひとも、みんながみんな魅力的です。
それはひとえに、枝雀さんご自身が登場人物をこよなく好きでいらっしゃるから。噺のさいちゅうに誰よりも枝雀さんご本人がまず、登場人物と出逢うのを謳歌なさっているように感じます。

枝雀さん曰くの「落語のくに」。
「落語とはなんですか」とのインタビューに答え(すごい質問だ・・・)、「落語は、おはなしですな」とおっしゃる桂米朝さんや、いわゆる口承文芸としての昔ばなしについて語る小澤俊夫さんのお言葉を思い出します。

たとえば、「次の御用日」の丁稚の常吉が好きです。おなごし(女中)のお清どんがお芋さんの太鼓の大きいとこを入れてくれると主に話す常吉、嬢やん(とおやん)のお供をする道中「黙ってお歩き」と怒られつつからかうのを止めない常吉、「(これからお遣いに参りましたらすぐに帰って参りますし、御膳も早よいただきまんので)どうかご了見なしとくれやす」とお奉行さんに泣きそうな面持ちで訴える常吉。どの場面も男の子特有の憎たらしさや可愛らしさに溢れています。

たとえば、「代書」の松本留五郎が好きです。留は、ほんまにどんならんたよんない。この上ない愛すべきあほです。

たとえば、「高津の富」で「ねー(子)の、ねーの」と繰りかえす男。

たとえば、「三十石 夢の通い路」の売り子の売り口上、船頭さんの舟歌。
耳に心地好く、最近ではよく音楽がわりに部屋に流しています。

枝雀落語で感じるのは、リアリティというよりイキイキと生きている躍動、律動。なにか脈打つもの。
枝雀さんが言ってらした、落語とは「生きててよかったなァと思って貰うもの」そのものなのでしょうね。

いやはや、なにせ毎日のように聴くもので、あろうことかおっとが枝雀さんにヤキモチを焼く始末。まあ、こういうゴチャゴチャ含めて「生きててよかったなァ」と思うものでしょうか。

早過ぎる死を惜しんだり、円熟した将来を見られない悲しみがないわけではないけれど、あまりメソメソはしたくありません。そのぶん残された録画物、録音物でめいいっぱい笑わせてもらおうと思います。
それに、枝雀さんが後世に遺したものを、現在の噺家や今後の噺家さんに見出し、大事に見届けたいと思います。

いつかあの世へ行ったならば「地獄八景亡者戯」よろしくあの世の寄席にておがめることを期待しつつ、本日はこの世の一隅より想いを馳せることにいたします。

*******

そういえばイラクなどアラブ諸国では、「ヌクタ」と呼ばれる小噺の類が好んで話されますね。
ヌクタは、落語とも講談とも異なりますが、一般に伝わるいわゆる昔ばなし、小噺ですかな。

イラク人が集まれば民謡が始まるのは、一昔前の日本でいう都々逸(どどいつ)とかでしょうか。
日本では都々逸はめったに聞かれなくなりました。

どの地域でも、このような口伝えの古いものが末永く広まることを祈ります。
(枝雀さんは英語落語まで開発されましたから、イラクなどに広まってもいいですね。)
老若男女を問わず笑い合えるということは、誠によろこばしいことでしょうから。

2009/3/31 火曜日

シクラメンのかおり

Filed under: diary — Kaori @ 18:42:04

いつもピースオンを応援してくれている“札幌のんちゃん”。可憐なシクラメンをお土産に事務所を訪ねてくれたのは、1年と少し前だったでしょうか。
「花が咲き終わったらそこをチョキンと切ってね。来年も楽しめるから」と教えてくれました。

でもしかし、シクラメンさん。この冬が来てもいっこうに姿を変えようとはしません。
「やっぱり切ってしまうのはアカンかったんちゃうの」「そ、そんなはずは」とドギマギしつつ、年を越しました。

そして春。
鮮やかな色の蕾(つぼみ)が少しずつ、少しずつ・・・
こうなると、もう可愛いなという情が生まれます。晴れた昼にはお日さんにあててやり、米のとぎ汁もかけてやって、声をかけ続けました。狭いアパートの一室で、いつの間にか家族の一員です。

そして、とうとう花開きました!

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しかも、まるで子どもが頭を下げてかがみ込み両の手を天に上げているような恰好。ぶきっちょなはにかみ屋さん、といった具合です。
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調べてみるとシクラメンの花言葉は「内気、はにかみ、はずかしがり屋」なんだそうです。うってつけじゃありませんか。

その内弁慶な感じが、イラク娘の仲良しヘバちゃんを想わせます。
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ヘバちゃん、おげんきですか。

2009/3/29 日曜日

シンポジウム「尾崎翠の新世紀」に出かけて

Filed under: diary — Kaori @ 17:13:08

「尾崎翠フォーラム」なるものが鳥取にて毎年あるのを羨ましく思っていたのですが、とうとう東京でも開催されるとのことで、行ってまいりました。

「尾崎翠の新世紀 第七官界への招待」ウェブサイト
http://osakimidori.info/

1日目は活動弁士による朗読や芥川賞作家川上未映子さんの講演などあったようですが、わたしは2日目の映画『こほろぎ嬢』(浜野佐知監督)上映、池内紀さんの講演、パネルディスカッション(吉野朔実さん、高原英理さん、木村紅美さん)のみ参加。

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*会場の日本近代文学館

尾崎翠は1896年生まれの作家。矢川澄子、野溝七生子、森茉莉らとともに少女文学というくくりで語られることもあります。
その悲痛なまでに澄んだ文章は、はたちの頃のわたしを熱心に読書へと向かわせました。それで事足りず、一時期は熱情をもって物を書いていましたっけ。

シンポジウムのために久しぶりに再読しましたが、やはりこのひとの作品は、ぞっとするほど明晰な小宇宙を肯定しています。
今ちょうど読んでいる本に、酸性人間とアルカリ性人間に分類する面白いくだりがありましたのですが(ちくま文庫『桂枝雀のらくご案内』)、尾崎翠文学は酸性でもアルカリ性でも絶対に傾いてないよなあなどと、一人うなずいていました。

パネルディスカッションでも話題に上っていましたが、一助、二助、三五郎、当八、九作・・・など数字を含む名前から分かるとおり人物像はもとより物語の筋すら消されているかのように読み手の頭には残りません。大勢の登場人物がさながら一人であるように、です。一方で、蘚(こけ)の恋愛など人間でないものこそ強調されているような感じを受けます。
要するに、人間中心主義ではないのです。その辺りの「おしの強くなさ」の証拠とでもいうのか、人の後ろに隠れた翠の写真を高原英理さんが紹介してくださいました。

また、鳥取と東京を彷徨していた翠がついに文学界を去って鳥取で生涯を過ごしその後は光を浴びることを一切拒んだ事実については、ちょうど長い戦争にさしかかる頃で自分という作家が戦争の広報に利用されるのを避けたためという考えを、池内さんが話されていたことも印象的でした。たしかに同時代の作家らは、戦地ルポなどを書かされていますもの。
ですから、翠をして悲運、孤独などと論ずるのは、ちと早とちりですよね。
ある意味で尾崎翠は長く忘れられた存在であったおかげで、いじられることも汚されることもなく、今によみがえることができたわけで、それは幸運といえます。

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*池内紀さんをはじめ安野光雅さん、井上ひさしさん、鶴見俊輔さん、森毅さんが編集なさった「ちくま日本文学全集」の尾崎翠の巻。池内さんがぜひとも尾崎翠を入れたかったのだとか。

しかし翠作品は21世紀の現在でもいたって斬新。
こんなもんが映画化できんのかいな、とも思いましたが、『こほろぎ嬢』はおかしかった! この映画制作を支援した鳥取県が素晴らしいです。

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*駒場公園の東口。同じ駒場公園内にある日本民藝館もずっと行ってみたいところ。また今度。

2009/3/25 水曜日

隔週の巣鴨もうで

Filed under: diary — Kaori @ 17:52:18

最近ここの更新がなくて寂しいとの声を寄せていただいています。ほんまに有難いやら申し訳ないやら。
ぼちぼち日記でもと思います。

さて、2週間に一度、巣鴨へまいるのを習慣としています。
といいますのも、通っている診療所が巣鴨にあるからなのです。

せっかくのお出掛けですから、これをひそかな愉しみとするのであります。
まずは、地蔵通り商店街をすたすた歩き、とげぬき地蔵で有名な高岩寺へ。なにはともあれ、お参りです。ごにょごにょと祈ります。

いちばんのおめあてはお寺の横手にある甘党の店、甘露七福神。
ここの塩あんみつが美味なんであります。
あんみつ
ウェブサイトを見れば「マクロビオテックな甘味処」とありますが、実際の店内にはそんな小難しい表記は見あたらず、いたって普通の実にのんびりとしたお店。わたしの気に入っています。

土産袋
*家人にもお土産を。

巣鴨といえば名物は塩大福。すがも園の塩大福もすきで、ちょくちょく食します。
すがも園
草大福、粟大福などもあり、どれもほっぺたが落ちるという表現の似合うお菓子です。

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甘露七福神の店先には、仔猫ちゃんが。
にゃんともまったりと、昼下がりの時は過ぎてゆくのでありました。

2009/1/17 土曜日

1月17日にして想う、あるいは燃え殻について

Filed under: diary — Kaori @ 18:17:52

14年前の今日、近畿地方で大地震が起きました。

当時暮らしていた京都は震度5で、寝ていた部屋の土壁からさらさらーと土が落ちる程度でした。
気を取り直し高校に登校するも休校になり、踵(きびす)を返して下校。街で号外を受け取って初めて近隣の兵庫県の惨状を知り、心底驚いたことを鮮明に憶えています。
わたしの学校は遠く神戸などからも多数の友人が通っていたため、「まさか、まさか」と祈りながら、ニュースで流れる名簿一覧を確認しました。夢うつつの状況ではそんなことぐらいしか、できなかったのです。

一瞬にして/あるいはじりじりと時間をかけて、人の命が燃え尽きること。そして、ともに在る土地までもが破壊され、人間とバラバラに切り離されること…….
-それらに対する恐怖と抵抗感が自分の中で育ち始めたのは、阪神淡路大震災がきっかけかもしれない、と時にふり返り思います。

数年後に兵庫県まで観に行った小澤征爾さんのオーケストラコンサート。アンコールだったか、小澤さんは追悼と鎮魂の意をこめ、J.S.バッハ「G線上のアリア」を演奏なさいました。
悲痛なまでに静かで清らかなアリアで、わたしは、そしておそらく会場にいた群集の誰もが、あの大地震と幾つもの霊魂を想い祈祷しました。
今日まであの時あの場での音楽とみなの共感が、大地震の記憶とともにわたしの内にはっきりと残っています。

イラクで、ガザで、つながって在る関係がひどく理不尽な風にバラバラにされています。あるいは日本でも。
今そこここで起こっていることを、じっと見つめて行為したいと思います。

2009/1/10 土曜日

冬休みのこと~京のお正月と甥っこ詣で~

Filed under: diary — Kaori @ 14:48:12

年末年始は京都の実家で過ごしました。

まずは、お正月のための買出しを錦(京の台所といわれる錦市場)でおこなったり、昔の仲間とごはんを食べたり、年の瀬ならではのあわただしさが続きます。

寸閑を得て、寄席に出掛けたりもしました。

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蕎麦屋権太呂さんの2階での定例寄席。
やはり畳の小部屋でマイクなしでの落語はよいものですね。
なんとマエセツは蕎麦屋のご主人の手品でした。

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天満天神繁盛亭へも、やっと行けました。

2009年へと日付が変わった頃、近所の神社へおまいりに。
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焚き火を囲み、甘酒をいただきます。
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獅子舞に頭をかんでもらいました。
こどもの時は獅子舞が怖くて泣きじゃくっていたものです。

わたしは今年、前厄にあたります。厄に負けませんようにと吉田神社にて、だるまみくじをひけば大吉。なんとなくほっとした年初でした。
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お正月はおこたでお蜜柑と甘栗を手に、TVの演芸番組をせんぐり見ていました。寄席にTVにと落語を見まくった休み・・・わゆる寝正月です。いやあ、ゆっくりするのが一番ですね。
そういえば冬休みの読書も『落語と私』(桂米朝)でした。ジャンルを超え久しぶりに出逢った良書だったと思います。

半島に住む姉も訪ねました。
姉夫婦は昨年こどもを授かりました。甥の誕生は、わたしにとっても最も素晴らしい出来事でした。
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もうすぐ9か月になる甥。大きい!
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お土産のでんでん太鼓も気に入ってくれたよう。
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ヤスおじちゃん(相澤)はなんと初対面。ちょうど人見知りする頃ですが、オジチャン・オバチャンとは仲良しでいてくれるかな。

今年はひたすらに体力回復にいそしみます。個人的な健康ばかりでなく、ピースオンとしても体力を蓄えたいものですね。
学び始めて1年を過ぎたアラビア語も、もっと精進します。イラクの人々とつっかえることなくお喋りに花を咲かせたいなあ。

今年もピースオンをどうぞごひいきに、よろしゅうおたの申します。

2009/1/2 金曜日

2008年 あけましておめでとうございます

Filed under: diary — yatch @ 23:31:04

恭賀新年

昨年中は大変お世話になりました
本年もどうぞよろしくおねがい申し上げます

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イラク・バグダード カラーダ地区の空家に住む子どもたち
(PEACE ON現地スタッフ・サラマッド撮影)

2008/12/11 木曜日

最終夜のさよならパーティ、そして帰国へ

Filed under: diary — Kaori @ 12:48:51

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突然の呼びかけにもかかわらず、ゆうべのさよならパーティには20名ほどのかたがたが駆けつけてくださいました。
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「イベントなどで楽しい時をともに過ごしたので一言さよならを云いたい」「残念ながらイベントや個展には行けなかったけどぜひ本人に会いたい」などみなさんの様々な思いとにこにこ笑顔と、一緒にアラビアレストラン「パルミラ」の美味しいシリア料理を囲みます。

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*ベリーダンスのショウも盛り上がります。

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そして今日はいよいよ帰国の日。
夜8時40分の飛行機で羽田を発ちます。
「一目お見送りを!」というかたはわたし香緒里の携帯電話まで今すぐご連絡ください。(090-4288-8135) ※メールでのお申込みは不可。

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